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Diary in Japaneseバンクーバー道場運営者の雑感
つたない英語力でこのサイトを立ち上げてから4年ほどが経過しました。最近、日本語の文章に飢えを感じています。ブログとまでは言いませんが、ここバンクーバーで生活していて感じることを、自分自身に、そして日本人の方々に向けて綴っていきたいと思います。気が乗ったときのみの不定期掲載です。空手道場のホームページですから空手関係の話題が中心となるでしょう。ご意見等がありましたらメールにてお知らせください。またこのコーナーはトップページでの更新告知は致しませんので悪しからず。

 

2008年2月より兵庫大阪南支部中村道場のホームページ上でコラムを書かせてもらっています。こちらから閲覧できます。

 

DEC 10/2007
いや~すごいですね。前回の更新から実に3ヶ月となりました。 今年の秋ほど忙しい時期はありませんでした。世界大会とバンクーバーカップの間隔が2週間のみであったということ。更に審査会をそれらの前後に行わなければならなかったことが忙しさに拍車をかけました。当然ホームページの更新は必要最低限に留まり、この日記(もう日記と呼べるものではないですね)も後回しになりました。

まあとりあえず世界大会の感想から書きたいと思います。

11月16日から3日間に渡って開催された同大会。トーナメントの最終日には東京体育館にたくさんの観衆が駆けつけ超満員となりました。結果は皆さんご存知の通り、ブラジルのテイシェイラ選手が優勝しました。全8試合を本戦決着で勝ち上がり決勝戦後も平然としているその姿に「明日もう一回世界大会を戦えるのでは?」と思ってしまうほどの磐石の勝利でした。

カナダ勢は予想を下回り全員初戦敗退でした。一人か二人は二日目まで勝ち抜くかな、と密かな期待を抱きましたが、やはりそんなにあまくはありませんでした。敗戦の中で勝ち得た唯一の収穫はカナダ選手8名が一つのチームとして機能した、ということです。カナダという国はその国土の広さから選抜選手が一同に顔をそろえると言う機会がありません。そのため選手間の交流も少なく、チームとしての認識が選手、コーチの間でも非常に薄かったのが現実でした。 選手間で切磋琢磨できない状況では選手レベルもモチベーションも上がりません。しかし4年前からバンクーバーカップやモントリオール大会といったブロック大会に各地域の選手が行き来するようになり親睦が深まり出し、今回ようやく真の意味でカナダチームがまとまった、という感じです。しかしそれでも代表選手たちが大会前に合同で稽古をしたことはありませんでした。カナダは国内における選手間の交流がようやく始まったところです。これからは組織的に選手をバックアップし合同合宿や大会への遠征援助を行っていくべき段階に来ています。

今大会で衝撃的だったのが日本選手団の敗北の仕方です。敗北そのものは、2年前の世界ウェイト制や昨年の全日本の結果を考慮に入れれば予測不可能なことでもなかったのではないでしょうか。ただ私が驚いたのは日本選手があまりにもあっさり負けてしまう光景でした。この原因は2点考えられます。一つ目は海外勢との技術的な差がつきすぎたため圧倒された、ということ。もう一点は日本勢の精神力が落ちてしまった。またはこの2点が複合してあのような「淡白な敗北」に繋がった、と考えられます。

それにしてもブラジル、ロシア、ヨーロッパの躍進には目を見張りました。その豪快な技もさることながら、彼らの精神力にはすさまじいものがあります。よく看過されがちですが、遠征を経て敵地で試合をする困難さはそれを経験した選手にしかわかりません。世界大会は東京で開催されます。海外の選手にとっては長旅の行程からすでに戦いは始まっているのです。自宅を出て自国の国際空港に到着、10時間以上飛行機に閉じ込められ成田に到着。そこから言葉も分からない状況で池袋まで行かねばなりません。ホテルに着いた時点で既に丸一日が経過しています。そこから更に時差ボケ、慣れない食事との戦いが始まります。そして試合では会場を埋める日本人観客との遭遇。また空手を本業としていない海外選手は最低7日間の休みを職場から貰わねばなりません。閉会式に出席した外国人から漂う空手家としての逞しさには、こういった困難を長年に渡って克服し培われた深みが感じられました。

空手発祥の地である日本が惨敗した現実は極真空手の更なるグローバル化に繋がります。大会における組手試合の枠を超え、組織運営においても極真会館は日本単独主導からの方向転換の域に入ってきているのではないでしょうか。今大会における海外勢の躍進は、4年後を見据えた極真会館が選手育成を含めてどのように活動していくのかが今まで以上に注目される状況を導き出しました。2011年開催予定の第10回世界大会ではどういったドラマが待っているのでしょう?

 

AUG 22/2007
ほんとうに気分が乗ったときに書く日記になってしまいました。もうこれは日記とは呼べないですね。

毎年たくさんの黒帯が極真会館の中で生まれます。ただ黒帯を貰ったとたんに道場から足が遠のいてしまう確立も高いのが現状です。極真空手の道場に入門して審査を幾度か経て黒帯を授かるわけですが、その初動段階における道場生の稽古内容はほぼ定められています。基本に始まり、移動稽古、型、基本的なミット稽古から組手といった内容です。これを3年から5年続ければ黒帯となる資格は充分に備わります。虚心坦懐に指導員の指導要綱に沿って稽古に励み、黒帯取得を夢見ることが殆んどの色帯の目標であるでしょう。問題は現実に黒帯を授かった後に発生します。目標達成からの開放感、もしくは黒帯が空手の最終段階とする勘違いからか、黒帯取得後に退会する道場生が以外に多いことです。これは非常に勿体無いことです。なぜなら本当の空手の修行は黒帯から始まるからです。色帯の段階は人生で例えるなら学校教育のようなものです。先生が教えることを忠実に学ぶ場所が学校です。そして卒業し社会に出た後、学校で培ったことを元に自分なりの人生を歩んで行くわけです。色帯時代に学んだ基本の技や精神を黒帯取得後に自分なりに昇華させていくことが空手修行の醍醐味ではないでしょうか。同じ人生が二つ存在しないように、空手に対する考えも修行する人それぞれです。どの分野に重きを置き、どの様に稽古を進め、どのように空手を自分の人生に役立てていくかは黒帯個々の判断にかかってきます。道場生がこういった事を自然と理解できる道場を創り上げることこそが現在の私の課題です。

 

JUN 4/2007
大山総裁が極真会館の前身である大山道場を立ち上げられて稽古が行われたのが約50年前。その頃の稽古は正に「何でもあり」ルールで組手が行われていたと聞きます。この時代を経験した師範の方々で未だ現役で道場で稽古されている方は現在世界中で一握りしかいないでしょう。その後極真会館が創設され組織発展の黄金期を向かえます。メディア媒体を通じて極真の凄さが燎原のごとく日本全国に伝播されました。本部道場には入門者の長蛇の列が連日続いたと聞きます。この頃に選手として活躍された方々が日本全土に支部を設立されました。

時代は更に移り変わり平成に突入します。稽古中の安全面を重視するためサポーターが使われ始め怪我に対する防止対策を重要視することとなりました。試し割りの軟化に代表される極真空手の大衆化は稽古にも波及し、その内容は大会に使用される技の修得に特化していきました。かつて「来る者は拒まず去る者は追わず」という刹那的な運営方針はいつしか「来る者を広告・キャンペーンで集い 、安全面を重視した稽古で去る者を最小限に留める」という企業的な経営方針に変貌していきます。元来タフであった日本人は戦争を境に変わり始め世代が変わるごとに精神の弱体化が露呈してきています。「最強」を目指す極真が万人に受けいれらるために「最良」へと方向を修正することはそういった日本人の変化が根底にあるのかもしれません。

現在、極真黄金期から生まれた一騎当千の師範方は間もなく引退の齢にさしかかってきます。そしてその直属の弟子が現在最前線で防波堤の役割を果たしています。しかしこの防波堤が崩れるときは確実にやってきます。サポーターを付けた大会用の組手、稽古時間の短縮、試し割り用の板....安全面重視の名の下に発生した数々の必然的な変化。50年前の空手も極真であり、私達が現在稽古しているのも極真です。そして50年先の極真に目を向けるべき転換期に我々はいます。妥協を重ねるのみの単なる大衆化ではなく、「最強の空手」への憧憬を保ちつつ誰もが出来る「最良の空手」の理想形を真剣に模索する段階に来ていると感じます。

 

MAY 30/2007
すっかりご無沙汰してしまいました。根気良くアクセスしてくれている方々に感謝です。今回は次回と併せて二部構成にしたいと思います。

極真空手を広める効果的な方法に演武があります。試し割りは極真空手の強さを一般の人たちに対し最も簡潔に伝えることが出来る方法です。私がまだ初級者だったころにテレビや大会で観た師範方の演武は今でも色褪せることなく脳裏に焼きついています。特に生で観た演武はインパクトも強烈で、強さへの憧れを掻き立ててくれたものです。なかでも一番凄かったのが西日本大会(全日本ウェイト制の前身)で観た中村師範の演武です。こういった演武を通した極真空手の凄さがメディアでも頻繁に取り上げられ極真会館の発展に尽力したのは言うまでもありません。あれから二十余年の時が流れました。格闘技雑誌をたまに手に取ると試し割り用の板、バットの広告が目につきます。演武する本人が成功するかどうか判断できないところに試し割りの醍醐味があります。そこには当然大怪我を被るかもしれないという不安がつきまといます。この不安を払拭するため衆人環境で演武を行い「逃げ出す」ための退路を断ってしまうのです。全ての懸念を振り払い、自分の技と対象物のみに集中する緊張感は観客に確実に伝わります。試し割り用に作られた物にはそれだけの緊張を演武者には与えられません。なぜならそれは確実に割れるからです。

試し割り演武には怪我がつきものです。特に大会を目指す選手には割に合うものではありません。その割りに合わないことをやっていたのが極真でした。時代のニーズに答えるため「最強の空手」から「最良の空手」に移行しつつある極真空手。そのため安全性を重視するために様々な特性を捨てていかねばなりません。色帯の時に参加した夏合宿では海岸での自然石割りに道場生みんなで盛り上がったものでした。何回たたいても割れない大きな石を黒帯の先輩がいともたやすく半分に叩き割る光景を忘れることはありません。今では試し割り経験が全く無いまま黒帯になる道場生も少なくないでしょう。懐古趣味は好きではありません。しかし失う物の大きさを考えた場合一抹の寂しさを抑えきれないことがよくあります。

 

MARCH 19/2007
武道における師弟関係というものは別に特殊な物ではなく、スポーツ界においても全く同じ物です。指導者が入部・入門してくる生徒に基礎から教え込んでいく過程は想像以上に年月がかかり根気を要するものです。それ故に自分の教え子が大会等で成功を収めた時の感動が大きな物となります。成功を収めるためには師弟間の強い信頼関係が不可欠であることはいうまでもありません。そして苦楽を共にして育まれれる絆は大会での成功を通り越し人生そのものの糧となるのです。しかしお金が絡むプロスポーツではそういった師弟関係が生まれにくい状態となっているようです。他人が育てた逸材を自分のチームに引き込む、いわゆるスカウト行為がプロスポーツでは公然と行われています。現代ではチーム生え抜きの選手は一人もおらず、レギュラー全員が他チームからの移籍組という状況に陥っても不思議ではありません。チームとしては、根気と時間のかかる選手育成に投資するよりも他人が育てた選手を引き抜く方が効率が良いわけです。こういった傾向は現在の「結果重視・過程無視社会」を象徴しています。しかしそういった「うわずみをすくいとる」急場しのぎが長続きすることはありません。なぜならそのようにして集めた選手はもともとチームに愛着がなく遅かれ早かれより良い条件を提示してくる環境に移ってしまうからです。そして指導者としての醍醐味を失ったコーチ陣は次世代を育てる意欲を失ってしまいます。

同じ指導者に一生付くことはほぼ不可能です。ここで大事な事は指導者を変える局面を向かえた時にしっかりと筋を通せれるかどうかということです。そうすることなく去ってしまう選手は大成はしないでしょう。またそういった選手を育ててしまった指導者側の責任も問われるべきです。武道空手を学び教える者として師弟関係はなによりも大切にしていきたいものです。

 

FEBRUARY 4/2007
武道の世界には「守破離(しゅ・は・り)」という言葉があります。これは修得段階を示す教訓として用いられ、武道、茶道、書道、花道といったおよそ全ての「道」に広く使われています。その大まかな意味は、「守」の段階では師匠の教えを忠実に守りその技を習得し、「破」に進み自分自身の考えを加味し技に独自性を出していく。そして「離」に到達するということは師匠から独立することを示します。人間というものは一人一人個性を持っており同じ事を同じ師匠から習ってもそこに独自性が関わっていくことは必然です。「守破離」を全うするということはその道で一人前となり師匠の元から離れるということです。師に対する最高の恩返しとも言えるでしょう。しかしこの教訓は、各段階に移行するタイミングを誤ると正反対の効果を与えてしまいます。最初の段階で停滞してしまう場合は惰性に流されていることが多いようです。また独立を急ぎすぎると「守」での基礎が確固不抜でないためオリジナリティーを付加する枠に早い段階で限りが出てくるはずです。また忘れてならないのは、たとえ「離」に到達してもその精神性は常に「守」に立ち返っていなければなりません。子育てやビジネスの世界にも応用されている「守破離」。今までの自分自身の人生に照らし合わせるとそれぞれのターニングポイントが見えてきます。そのタイミングが最善であったかどうかは現段階ではまだ見えてこないようですが。

JANUARY 18/2007
正月休みに久しぶりに映画を見に行きました。「ロッキーバルボア」という映画です。同シリーズ1作目を映画館で見て以来実に27年が経っていました。6作目となる本作。良かったです。迫力あるラストのファイトシーン以上にそこまでの過程で起こる様々なドラマが丹念に描かれていました。It ain't about how hard you can hit. It's about how hard you can get hit and keep moving forward! 日本語版でどう訳されるか判りませんが、息子にかけるこの言葉がロッキーシリーズのテーマを物語っているように思えました。この映画に感動する理由の一つに、ロッキーの生き方自体が演ずるスタローンそのものに感じるからでしょう。20年ぶりにロッキーを復活させると彼が発表した時、ほとんどのミディアは成功に懐疑的でした。60歳の忘れられた俳優が昔の成功にしがみつこうとしていると書かれても仕方のないことでしょう。しかし駄作と酷評された「ロッキー5」でシリーズを終わらせてしまった悔恨が20年間くすぶり続け、巷の逆風をものともせず今回見事映画を成功に導いたスタローン。ハリウッドには数え切れないほどの映画俳優が存在します。しかし彼のように何十年もの間、一線で活躍する俳優は両手で数えれるほどです。筋が通った精神力の強い人間はどの世界でも輝き続けるのでしょう。

JANUARY 12/2007
昨年12月後半は諸事情により日本に帰省していました。髪も伸び放題だったので久しぶりに地元の散髪屋さんで刈ってもらいました。昭和のにおいがする小さな店舗で35年商売を続けてきたご主人に切ってもらいました。会話も進み「この間、大阪梅田の地下街を歩いていたら見覚えのある頭が見えたので声をかけたら自分のお客でした。」とご主人。「見覚えのある頭?」と私。「いやあ、後姿だったんですが私が切らせてもらった頭だとすぐにわかったんですよ。」会話の中心はそのお客の仕事のことであったので、ご主人のトーンは自慢口調ではなく実にさらりとしたものでした。職人芸は場所を選ばずそして職を選びません。必要なものは時間とプロ意識のみのようです。

JANUARY 07/2007
新年明けましておめでとうございます。年末年始を挟みこの日記も2ヶ月近く更新できずにいました。年も明け気持ちも新たに空手や武道について感じることを書いていきたいと思います。

12月3日にバンクーバーカップという大会を主催し無事成功裡に終了することができました。規模はまだまだ小さいですが毎年着実に成長している点は評価されていると思います。今回初めて日本の中村道場より二名の選手を招待し北米の選手と対戦するという構図を生み出すことに成功しました。試合はモントリオールのドミニクとシルベインが川阪、中川両選手を決勝で下すという結果に終わりました。今大会、彼らが戦った階級に留まらず全ての階級でモントリオールの選手の活躍が光りました。大きく腰を入れて打ってくる突きと蹴りを武器に力強く前に前進してくる彼らのスタイルは細かい動きを含むコンビネーション全盛の組手に慣れた日本人選手には勝手が違ったのかもしれません。またそういった技術的な事柄以上にモントリオールの選手が勝てた要因は強い精神力だと感じました。試合にのぞむ時は冷静を保ちつつも心の底では「絶対に勝つ」という勝利への執着心が必要です。チーム内の強い結束力から育まれた執着心が彼ら一人一人に深く浸透していたようです。次回は地元バンクーバーを含む他地域の巻き返しを期待したいものです。

OCTOBER 15/2006
バンクーバーで2000年にひっそりと開催した大会が、早いもので今年で7年目を向かえます。世界的に見てもレベルが低いといわざるを得ないカナダの選手達。その原因はハングリー精神の欠如、指導者の不足など様々です。この大会はそういった彼らを少しでも支援し、技術を磨かせ自信をもたらすために開催されてきました。まさに地元選手のための大会であったのです。あれから7年、試行錯誤を繰り返しながらも続けてきた成果が徐々に出始めてきました。自覚を持った選手が育ってきたのです。そして遂に今年、かねてからの念願を成就させるところまで来ました。私の出身道場である兵庫・大阪南支部中村道場より選手を派遣してもらい、この大会で育った地元選手とぶつける、ということです。大会まで残り6週間の現在、全ての手配は完了しました。名門中村道場の誇りを背負った選手達は当然ながら優勝するためにバンクーバーにやってきます。しかし今の北米選手は以前とは違います。12月3日、マット上において不動立ちで十字を切り対峙する両雄を思うと今から身震いします。

SEPTEMBER 27/2006
空手のトレーニングには稽古という言葉を用います。この言葉は考えるという意味の「稽」と、「いにしえ」を表す「古」という字から成り立っています。先人が遺した思考や技を研究し、自分のものへと消化していく意味で武道を志す者にとっては馴染みの深い単語です。もともとは学問を学ぶという意味であったのが、いつしか芸術、芸能、武術の世界でも使われるようになったそうです。何かを立志した瞬間、それに対する稽古が始まります。それは先に挙げたような限られた分野に留まりません。人生そのものが道場であり、私たちは多種多様な出来事に対処しその中で向上心を持って「稽古」を続けていかねばなりません。そこで道を極めた者が最強なのでしょう。

SEPTEMBER 8/2006
選手として大会に出場していた時によく訊かれたことが「なぜお金にもならないのに戦うの?」ということです。武道が根付いている日本にいた時でさえ訊かれたわけですから合理主義本家の北米ではなおさらです。極真空手は先にも述べたように直接打撃制ルールを採用していますから大会での組手は非常に激しいものとなります。その試合内容は空手を知らない人達から見ればボクシングと同等に見え「この選手たちにはファイトマネーが出ている」と勘違いするのも当然かもしれません。日本人の考え方も欧米化されてきた昨今、金銭が全てを図る物差しになってきています。アマチュア選手の祭典であったはずのオリンピックまでもが商業化の道をまっしぐらです。人間には誰しも金銭欲、名誉欲があり、そういった欲望がより満たされる環境を整えた団体が発展するようです。極真の大会はこういった時代の流れに諸手を挙げての同調をせず伝統的な風習を堅持しています。

話を元に戻します。上記のような質問を受けるたびに私は「じゃああなたはなんのために生きてるの?」と逆に質問を投げかけます。少し皮肉を込めたトーンですが、ほとんどの人はその答えに窮し最初あった勢いを失います。武道である極真の大会に出場する理由は人間が生きようとする理由に無関係なのでしょうか?

AUGUST/28/2006
ここ数週間この日記も含めてホームページの更新を疎かにしてしまいました。これは私の出身道場である兵庫・大阪南支部中村道場のウェブサイトの作成に時間を費やしていたためです。伝統ある中村道場のサイトを手掛けさせていただくのは光栄の至りです。資料を集め始めて気付くことの一つに、同道場には20年の歴史を超える道場が多数存在するということです。この事実はいかに多くの人達が同支部を長年に渡って支えてきているのかということを如実に物語っています。組織が発展するには一人の力では限界があります。師範はその眼力でその人の可能性を見抜き次々と責任ある仕事を分配されました。いわゆる人材育成能力に傑出されているのです。しかしいくらその能力に秀でていても自分の周りに人が集まらなければ宝の持ち腐れとなります。剛腹且つ繊細なお人柄を持つ中村師範には多数の人々が集まり魅了されました。「名選手は名監督になり得ず」は中村師範にはあてはまりません。師範から学ぶべき課目は空手の技術や精神性という枠を超え組織運営のあり方にまで広がります。

中村道場ウェブサイト:www.nakamuradojo.com

AUGUST/7/2006
極真道場での稽古内容には大別して2本の柱があります。基本稽古、移動、型稽古 などの伝統的な稽古法が一本。もう一本は ミット打ち、スパーリング、受け返しなどに代表される試合用の稽古です。大山総裁が極真会館を創設した当時は大会というものがまだ確立していませんでした。そのため稽古内容も組手を除いては伝統的なものに比重が置かれていたのではないでしょうか。60年、70年代に出版された技術書には型、約束組手、護身術といったものに多くのページが割かれてることからもそれは推測できます。それらの著書には相手の攻撃を受けて掴み反撃する動きが大量の分解写真で解説されています。ところが80年代後半あたりから総裁は「相手が自分の射程距離に入ったならば一撃で倒すのが空手だ」といった発言を様々なメディアを通して発せられています。これは「空手家は打撃技を極めるべきである」という文章に置き換えることができます。

物事に対するその人の考え方は人生の中で変遷していくものです。伝統流派から始められた大山総裁も晩年には掴み投げ極めといった動きは頭の中から姿を消し、突き蹴りのみを重視するようにお考えが変わっても不思議はありません。しかしそうなると先述した2本の柱に関連性が無くなってしまいます。型の分解を説明するには打撃技のみでは不充分だからです。総裁は型を稽古体系から排除しませんでした。その事実は伝統的な稽古法を決して軽視されなかったということを示しています。試合用の稽古で打撃技を磨き、それらを約束組手の中で型の動きに組み合わせることができれば2本の関連性を見出すきっかけになり得ます。しかし約束組手を行う道場は次第に減少していったのもまた事実です。空手の武技に対する総裁の思想は極に達していたのでしょうか?それとも変遷途中で亡くなられたのでしょうか?極真空手の奥深さは創始者の死により、より深遠なものとなってしまったようです。そして残された我々は自分自身の極意を探すため稽古を続けるのみです。

JULY/30/2006
大山総裁が生前よく「判定で勝つのはみっともないよ。相手をKOしなければならない」と日本選手に檄を飛ばしていました。この言葉は武道空手道への啓示であったのだと思います。判定というものは試合終了後もお互いまだ息があることを示しています。ですからルール上では勝敗が決しても、武術の観点からするとお互いにまだ戦う意思が存在する以上引き分けであるといえます。また試合時間はルールで決められていますから選手はその範囲内でスタミナ配分を計算して戦います。しかし実際の武術の果し合いでは試合時間はありませんでした。どちらかが完全に倒されるか又は戦う意思を失うまで継続されます。これは直接打撃制ルールの「一本」の定義と同等です。特別裁定で総裁が決着がつくまで何回もの延長を課したことは武道性へのこだわりがあったのだと推測できます。選手レベルが向上した現在、一本勝ちは非常に困難であるし、延長戦の繰り返しは選手生命の短縮に繋がり今では非現実的です。しかし一方で一試合最長7分間という大前提は選手の思考を、勝つために如何に審判団にアピールし判定をものにするか、という考え方にシフトさせています。倒す組手を狙うことこそが極真が武道であることの証明であり、選手はその具現者であるべきはずです。競技である以上、判定勝ちを視野に入れて稽古することは当然です。しかし一本をとれる技を練り上げることが確固たる基盤として存在するべきだと考えます。

JULY/21/2006
純粋な競技である極真の大会はスポーツなのでしょうか?この答えは参加する選手個々の精神性で決まってくると思われます。ルールと審判団が存在した上で選手が技と体力を競い合う極真の大会は外面的にはスポーツの範疇におさまります。しかしそれに参加する選手が、審判団が下す勝敗の判断に関係なく自分自身の中で勝敗を決すると、それは武道になります。武道を志す人の最大目標は自己への挑戦です。敵を想定して稽古を重ねる空手家の最大の敵は自分自身なのです。その延長戦上に大会が存在するなら、試合終了の太鼓が鳴った瞬間に自分自身の中でその試合の結果は既に出ているべきなのです。大会も長い修行人生の一部として捉えている選手にとっては第三者が下す判定はあくまで二次的なものであるはずです。逆に試合結果を重要視する選手やコーチにとっては審判が下す判定が全てです。そのため審判に対する不満や、顔面殴打へのアピール、判定を聞いた瞬間の感情表現が本人の意思に関わらず出てしまうでしょう。この状態はまさしくスポーツ選手としての心理です。かつて武術家同士が果し合いをする場には立会い人は存在しても審判はいませんでした。勝敗の帰趨は戦っている本人達が一番判っているからです。将棋の世界で「参りました」と自分自身で敗北を宣言するのはその起源が戦国時代の武将をモデルにしているからではないでしょうか?極真の大会はいつまでも武道大会であってほしいものです。

JULY/18/2006
これから近い将来、日本をはじめとする先進諸国では高齢化社会を向かえます。現在少年部ではたくさんの子供達が頑張っています。日本を例にとると、彼らが大人になり指導員として教えているであろう
2020年以降には2人の労働者が1人の老人を扶養する時代に突入しています(厚生労働省の推計人口による)。一般稽古では青年層が減少し道場生の平均年齢が更に上がっていることが予想されます。20代から30代前半を主な対象とした極真の主要大会にとっては危機的な状況といえるかもしれません。選手数の減少はレベル低下を招きメディアへの露出が減少します。また他の格闘技や武道そして各地派閥間の道場生獲得競争も激化することでしょう。選手あっての大会であり、大会あっての極真空手とよく言われます。極真会館は大会と共に成長してきたと言っても過言ではないでしょう。しかし将来を見据えた場合、その考えを拡張しなければならない時期に差し掛かっているのではないでしょうか?

JULY/11/2006
大陸別予選から197の国と地域が参加したワールドカップは世界中の人々を熱狂の渦に巻き込みました。サッカー素人である私でもFIFAという団体の組織力・運営能力の高さを実感することができました。大会成功への原動力はやはり組織に関わるたくさんの人々のサッカーに対する愛着の深さだと思います。極真空手を心から愛する人にはこのワールドカップとかつての世界大会が重なったのではないでしょうか。1994年4月大山総裁が亡くなり極真会館は分裂しました。巨星堕つ後は乱世の始まりとはどの世界でも起こりうることであるらしく極真空手にとっても例外ではありませんでした。生前の総裁が開催された最後の世界大会は100カ国以上から250人の選手が参加する巨大トーナメントでした。同大会がもしあのままの勢いで成長を続けていれば、間違いなく武道界のワールドカップとして世界中に認知されたでしょう。組織が分裂しても極真への愛着は変わらないはずです。今は無理かもしれません。夢を次の世代に託すべくしっかりとした人材を育成することこそが道場運営者にとって最も重要な仕事のような気がします。

JULY/4/2006
極真空手にとって組手は命です。そしてそれは常に進化しています。選手稽古ではより効果的に成果を挙げるトレーニング法が次々に活用されています。そして三十余年を誇る全日本大会の伝統とその競技ルールの優秀性は競技人口の拡大に繋がり、更には選手レベルの向上を促し次々と技術革命をもたらしました。創始者である大山総裁が創造したこの直接打撃制というルールは世界中に浸透し、その技術は未来へ向けて進化していくことでしょう。一方で、極真空手はその競技性のみに注目が集まりがちですが武術として掘り下げられる素養も充分に保持しています。それは型に代表される伝統稽古に表れています。直接打撃制を採用する多数の流派は型の必要性に疑問を呈し稽古体系から排除してきました。その決断は「競技空手宣言」とも言えるでしょう。しかし極真会館は型の重要性を認識し「武術としての空手」を固持してきたのです。武術としての空手を追求するためには原点回帰が必要であり歴史を紐解き現存する型の成り立ちや技の分解を研究する必要があります。極真空手は組手で未来を向き、型で過去を探ることのできる近代稀な武道なのです。

JULY/1/2006
極真空手の道場では、道場生は遅刻をすると2,3分の正座を課せられます。その意義は遅れたことに対する体罰ではありません。稽古時間に遅れたことにより、道場に着いた時点で気持ちに焦りが感じられます。そこで稽古に合流する前に精神の統一を図る必要性があります。壁に向かって正座をし心を落ち着けるのです。ですから稽古開始・終了時の正座・黙想の意義となんら変わることはないのです。道場におけるこういった風習は禅道から来ているものと考えられます。

歴史書を紐解くと五世紀後半から六世紀初頭の昔、達磨大師という仏教徒がインドから中国に渡りました。達磨大師は河南省嵩山に少林寺を創設し禅宗の開祖に至りました。武道を志す人には承知の通り、少林寺で発祥した少林拳は数多くの武術の源でもあります。武術と禅を通しての修行が少林寺修行僧にとっての生活であったのです。十三世紀には既に禅宗は道元などの僧侶により日本に伝えられています。中国武術に深く影響を受けた空手にはその武技のみではなく禅の心技も伝えられたと考える事に無理はないのではないでしょうか。少林寺で修行した達磨大師には壁に向かって九年坐禅を続けたという伝説があります。この壁観といわれる宗旨は現代にも面壁(壁に向かって坐禅)としてその風習は禅寺に留まらず武道にも浸透しています。時間に追われる現代人にとっての道場とは常に精神統一の場であって欲しいものです。

JUNE/27/2006
道場運営者となった時点で武道家としての道が狭まります。教わる立場が教える立場に移行し、自分自身に対する稽古量が減少するのは必然です。今まで自分が教わったことを自分の弟子に伝えることは流派を広める上でも非常に有意義なことです。一方で自分がその道場の頂点に立ち、時間の制限を理由に稽古を怠ると武道家としての成長は止まってしまうことになります。稽古量の減少は、培われてきた経験を活かした「質」でカバーしていかねばなりません。空手における道場運営者はレッスンプロであってはならないのです。本末転倒を避け、道場を運営する身であっても自分自身の技術・知識が向上するよう毎日の稽古を終えたいものです。

JUNE/19/2006
武道の定義には個人差があります。私は、武道とはスポーツと武術を合わせたものと考えます。更に言えば、競技性をスポーツから採り入れ、そして精神性を武術から受け継いだものと個人的に定義しています。武術(武芸)の興りは中世・平安から鎌倉時代にあると言われています。その精神は奉仕・礼節・拝師・死生論に代表されます。その武技は本来一子相伝で門外不出の秘伝として次世代に受け継がれます。極真空手はその技を公開し広く門下生を募りました。そして大会を開催しその強さを世間にアピールしてきました。そして競技人口は飛躍的に増加したのです。その稽古方法も西洋式のトレーニング法が積極的に採り入れられ試合に勝つことが主要目的の一つとなりました。ここまでは武道としてなんら非難される箇所はありません。肉体的な技法や稽古法が競技中心(スポーツ)に傾こうともその精神性が「武術」であるなら武道なのです。しかしその最も重要な精神面までもがスポーツ化したらどうなるのでしょう?金銭への欲、師への背信が平気でまかり通ってしまうのです。この憂いを帯びた事態は様々な武道で現実のものとなっているのではないでしょうか?極真は競技性と精神性を理想的に併せ持った武道です。創始者が没して10数年。極真が将来も武道であり続けることを願いつつ日々精進したいと思います。

JUNE/17/2006
「自分は完璧であると思った時点でその人の成長は止まる」とよく知る年輩の人に諭されます。何年にも渡って道場運営を経験すると経営・指導方針、属する組織との接し方が固まりがちになります。25年も空手をすると組手のスタイルが固まります。信じる道をもって行動するとは良い言い方ですが、一方で大変危険な考えかもしれません。「なぜあの子供は辞めたのか」「なぜこのクラスは伸びないのか」「なぜここでこの技を出せないのか」すべては自問から始まります。信条やプライドをたまに後ろに下げ向上心を前に出さなければ人としての成長は止まってしまうのでしょう。多民族国家であるカナダにいると道場運営において様々な対応を迫られます。自問し試行錯誤を続けた15年間。少しは人間として成長したのでしょうか。

JUNE/13/2006
大阪から帰ってきました。良い大会でした。選手層も厚く、進行もスムーズで観客数も例年を上回ったのではないでしょうか。そして何よりも試合内容が良かった。印象に残った選手は重量級優勝のロシア代表ダルメン選手。あの精神力は脅威の一言です。そして軽重量級優勝の住谷選手。現在「これぞ極真!」という試合を観客にアピールできる数少ない選手ではないでしょうか。奇しくも昨年と同じ顔合わせとなった中量級決勝を制したのは森選手でした。松岡選手がこの選手に負けるとしたらあの展開以外に考えられなかったでしょう。敗れたとはいえ松岡選手の動きは更に安定度を増し技の威力が格段に上昇していました。中量級は当分の間この二人を中心に回っていくことだと思います。カナダのジョニーとドミニクは結局「負けるべき試合に負けた」という感じです。世界レベルのハードルを越えたいのなら更なる精進が要求されます。現実を突きつけられた彼らにとっても良い経験になりました。最後にこのような素晴らしい大会を開催された大会関係者、スタッフの方々に厚く御礼申し上げます。

JUNE/4/2006
空手の白い道着を着ると気持ちが自然と引き締まります。昔の剣豪はいざ決闘の際には白装束を着て戦いに臨んだといわれています。これは自分が敗れた場合、血にまみれた自分の死体を親族の手を煩わして着せ替えさせてもらうのを避けるためだったそうです。この風習が後の近代武道(柔道)に取り入れられ、道場生は白い道着を着て稽古または試合に臨む制度が確立したそうです。生死をもって勝敗を決した剣豪諸氏の覚悟の強さは、私達現代人の常識を凌駕します。彼らの精神性に1ミリでも近づくために私達が出来うる唯一の手段は、白い道着に身を包まれている間は心身を集中させ稽古に没頭するということだけでしょう。

JUNE/1/2006
幾日も稽古指導を続けるとそこに惰性が生じるときがあります。人間とは弱い生き物であると痛感する瞬間です。怠惰な自分を戒める方法として、白帯の自分自身を道場生のなかに想定します。20余年前、兵庫の尼崎道場で初めて道着に袖を通し稽古を経験しました。そして先頭に立ってみんなを引っ張る黒帯指導員の技の切れ、立ち振る舞い、力強さに圧倒されました。あのときの自分は現在指導する自分のクラスを受けて同じように感動するだろうか?それを思うと毎日の稽古に力が入ります。白帯の自分に稽古をつける現在の自分。ごまかしや惰性は簡単に見抜かれてしまうようです。

MAY/30/2006
師匠である中村誠師範に道場運営において常々言われてきたことがあります。「どれだけ人数がいても世界レベルの強い選手が出てこなければだめだ。」この言葉の深さそしてその困難さは道場を開設し選手育成に力を注いではじめて理解できます。選手を引退し道場運営に専念し始めて7年。今年ようやく全日本ウェイト制に選手を送るはこびとなりました。かつて自分自身が燃焼したあの大阪府立体育館にカナダ人の弟子を連れて行くのが念願でもありました。選手リストを見ると今年は例年に比べて格段に選手層が上がっています。大会まで後二週間を切り日本の各道場も調整に余念が無いことでしょう。胸を借りつもりで選手共々挑戦していきたいと思います。

MAY/28/2006
空手を通じて子供達に武道教育を施す。では武道教育とはなんなのか?礼儀を重んじる心、自分の弱さを克服する心、そして自分に関わる人々を敬う心を養うというように理解しています。しかしこういった素直な心は現代社会で成功するために必要なのでしょうか?一歩外に出るとそこは競争社会の真っ只中。礼儀は無く、他人に対する尊敬どころか蹴落とそうとするありさまです。様々な人種が住むバンクーバーでは文化基準・言語の相違から心の交流が生まれにくく、万国共通語であるドルがすべての判断基準になっています。北米ではSUCCESSとはお金持ちになることなのです。しかし金銭ですべてを測る資本主義社会の歪は貧富の格差、犯罪率上昇といった形で顕著に現れています。先週末、審査会を開催いたしました。たくさんの子供達が参加しました。これは上に挙げた道場の基本精神に賛同してもらえる親御さんが多数存在するということです。たくさんの人が資本主義の将来を本能的に危惧しているのでしょう。ゆとりを持った精神教育をする武道がBUDOとして英語の辞書に掲載される日が近いことを祈ります。

MAY/26/2006
日本に憲法前文、会社に社訓、学校に校訓があるように極真空手にも道場訓が存在します。この道場訓は稽古をする上での基本精神を道場生に示すものです。私は英語圏で生活していてもこの道場訓は毎日頭の中で唱和するようにしています。七箇条からなる道場訓には「機に発し感に敏なること」という文章が含まれています。理解しやすく言えば「タイミングを逃さず適切な判断を下し迅速に行動すること」と言えるでしょう。もちろん空手は武術ですからこの一文は敵の動きに対しての訓示を表しているのでしょう。しかしこの一文は実生活にも密接な関わりをもつのではないでしょうか。行動力と判断力はどちらか一つが欠けていれば私達を成功には導いてくれません。歳を重ね責任が重くなるにしたがい道場訓への理解度が高まります。

MAY/23/2006
伝承芸といわれる落語には稽古をする上で台本というものは用いないようです。稽古は師匠と弟子の一対一で行われ、すべては口伝えで進められるそうです。そのため演じる人が異なれば同じ古典でも全くちがう雰囲気が醸し出されます。その人の人間性であるとか個性や生き方が演目に直接反映されるためでしょう。この稽古方法は個性的な落語家を輩出していく一方で落語界拡大の妨げにもなっているようです。なぜならテキスト本や学校といったものがないため一般人は気軽にその門を叩けないのでしょう。極真会館設立当時は正にこの落語界のようなものだったのではないでしょうか。80年代後半ころから流派拡大のため道場内での稽古方法がシステム化されはじめました。会員数は増大する反面、個性的な選手数は減少しました。そして師と弟子の関係から、先生と生徒に変わりました。少数精鋭の落語はメディア上では目立ちませんが確実に次世代に受け継がれるでしょう。極真もそうあって欲しいものです。

MAY/21/2006
小さい頃よく伝言ゲームで遊んだことを思い出します。この伝言ゲームを思い出させるのが型の歴史です。空手において型稽古は欠かせないのですが、歴史を含めた各型の背景・成り立ちを考察することも一つ一つの技を掘り下げるうえで重要なことです。極真空手の型はそのほとんどが松濤館流と剛柔流という流派から受け継がれいますが、その原型は留めていません。これはある意味あたりまえのことです。伝達する媒体が人間である以上、そこになんらかの意思が働くことは仕方のないことです。型の源流といわれる松濤館流でさえも、その創始者(首里手)が遺された本来の技は消滅したといわれています。重要型のひとついわれる鉄騎(ナイファンチ)は極真を含めた様々な流派で稽古されていますが、各流派動きが違います。時代により変化する型。空手の歴史の深さがそこに凝縮されています。

MAY/19/2006
両手をぴたりと合わせるとその意味を知らなくても何故か心が落ち着きます。合掌はインドの風習から仏教に伝わったとされる東洋特有の習慣であり欧米ではなじみがありません。ところが、この動作は北米人にもしっくりくるようです。その証拠に質問好きな彼らから合掌に関しての問いをうけたことは一度もありません。相手に敬意を表するため、そして精神統一をはかるにはこの動作は人種を選ばないのでしょう。空手における合掌はもっぱら騎馬立ちに使われます。足腰に相当な負荷のかかるこのスタンスを10分も維持しようとすれば、心が乱れ残り時間が気になりはじめます。空手の世界においては、肉体が追い詰められるほどに精神統一をはかる最もシンプルな稽古方法が騎馬立ち合掌なのかもしれません。

MAY/18/2006
空手道場を長年運営することで得られる財産の一つに「人との出会い」があります。しかしそれは単に普通の出会いではなく、空手稽古という同じ目的を持った人に出会える喜びがあります。その人と稽古を共にする時間は、その人の長い人生から見れば一瞬である事が殆んどでしょう。何らかの事情で空手を辞めたあとでも、又は道場を移ったあとでも、その一瞬を一生覚えてくれるような稽古にしたいですね。

 

 

 

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